池町の沿革

池町は、平安朝の昔平清盛の母で源頼朝、義経らの命乞いをした池禅尼の縁故の土地と伝えられるが、此処に比丘尼池と称する大きな池沼があったことは文献に明らかである。田町(タノマチ)、池町(イケノマチ)、下垂町(シモダレ)はいずれも水にゆかりがある町名であり、地形から生まれたものである。

歴史

延宝5年(1677年)池町の往還通りの長さは、弐町拾間で家屋敷は22軒下がって、宝歴9年(1759年)江戸時代の初期城下町の数24ヶ町であり、池町もその内の1ヶ町であった。内訳は武家屋敷と商家が半々位であった。
当時の町の規模は町幅四間、道路にして東海道と同様で、北遠に通ずる重要な地点であった。嘉永2年池町入口に建立した秋葉山の鳥居は有名である。又池町の小字は池町、田町北裏、下馬場、元城北、元掘北等であった。当時の池町の庄屋は久七、年寄は伝三郎、清兵衛らによって治められておったようである。
浜松は明治維新まで城下町として栄え、明治22年2月1日町制を実施、同44年7月1日市制を施行して今日におよんで、地名連錦850年であります。
・明治19年の春に池町より出火した火災により10数軒を焼失したことがあった。
・大正14年5月元城町、田町の一部を地域の変更で池町に合併した。
・昭和5年天皇陛下行幸の時、現在の池町通りの道路拡張があった。
・真宗大谷派芳蘚寺は今より約850年嘉応年間の開創である。今はないが池の大明神が祭ってあった。
当初、池町会館の建物は昭和28年消防一分団の鉄骨の払い下げを受け建設した。屋台の新造は昭和34年4月である。その後、平成13年に池町会館が、平成25年に屋台蔵の建替えが行われた。